私達が「自分を制限する古い考え(例:苦労しなければ成功できない)」に気づき、それを手放して「本来の自分」として振る舞う時、過去のパターン(カルマ)は解消されます。
カルマが取れるしくみについて簡単に説明しますと、
「過去に縛られず、今、この瞬間にポジティブな選択を繰り返す事で、古いエネルギーの蓄積が中和していく事が出来ます」
です☆
(例えばマントラを繰り返す事など)
バシャールの哲学は、
「自分が幸せでいれば、それが世界への最大の貢献になる」
という考え方です。
「誰かを蹴落として手に入れる」のではなく、
「自分の情熱に従って輝く事で周囲にも良い影響を与える」
というアプローチを取る為に、結果として誰も傷つかない調和の取れた願望達成が可能になるとされています。
要は
「生まれた環境に文句も言わず黙々と目の前の事を頑張っていればそこそこの成功は出来る」
のです。
自分の意見なのですが、正直成功すれば何でもいいんです。
”成功した”という事が大事だと思います。
「そうはいってももっと大きい成功をしたいんだよ」
という人もいるかと思います。
それは、
小さい山を目指す人もいれば、ヒマラヤ山脈を目指す人もいるわけで、それは全然変なことではありません。
ただ、ここでは「小さな事でも成功は成功だ」という事を言っているだけです。
ゴディバのチョコ🍫だろうが、チロルチョコ🍫だろうが美味しいものは美味しいのです。
で
恨みの波動で生きてる人は、ずっと恨んで生きていかなくてはいけません。
なぜそうなってしまったのかは置いておきますが。
ですけどそれでは疲れてしまうし、面白くないと思うのですが・・・・・・・
ですが、それは余計なお世話かもしれませんね。
自分がそう思う。というだけです。
つ☕
🤔
ですけど、
「望んでもいないのに望んで手に入れた人を恨むのはちょっと筋としておかしい」
と、自分は思います。
単なる当てこすりですよね。
それに
因果の法則もあります。
良くない事が起きた場合は過去に自分が何かをやったからそうなったのかもしれませんし、たまたまそこにいたから巻き込まれただけなのかもしれません。
が
自分が懸念していることがあり、それは
「悪い人というのは結局気が弱くて心の優しい人から奪うのが一番てっとり早い」
という事を学習してしまっているのです。
ですから”略奪合戦”はなくならないのです。
奪いやすい所から奪うというのは、皮肉でもありますよね。
”人間版弱肉強食”です。
で、
負けるのはいつでも気の弱い人なのです。
ですから、そりゃあ世の中を恨みたくなっちゃいますよね。
🤬
頑張ったのに報われなかったという人もいるかもしれません。
冤罪もあります。
罪ではないのにおっかぶせられたり。
😞
ですが、
やっぱり恨むのは良くないと思います。
やられた事が悲惨であっても、ずっと恨みの人生の中で生きていくのは良くないと。
自分の意見ですが、「恨みは忘れた方がいい」のです。
と、まぁ簡単に言っていますけど。
出来ないから困っているわけですよね・・・・・・・・
人によっては大金を騙されたなんていう人もいたりして、実害もあるわけです。
それについては、
「あなたが悪いんだよ」
とまでは自分は言うつもりはありません。
「それはカルマだよ」
とか言った所で奪われたものが返ってくるわけでもなく。
「それはカルマだったんだ」
と自分で納得する分にはいいと思いますが、人から言われたくはないですよね。
うるさいよ、って思いますよね。
騙すほうが悪いですよね。
ですけど、矛盾しているのが
「捧げる側が損をする」
という事です。
捧げる側というのは、奪う側の人に目をつけられやすいのです。
何故ならば、自分の思いやりを犠牲にまでして捧げてくれるからです。
なので、テイカーさんは奪いやすいという事です。
そうしますと、”捧げる民”に宇宙も
「この人は自分を後回しにしてもいいと思っている」
と判断してしまいます。
ですので、奪う側に奪われ続けてしまうという現実を創ってしまうのです。
残念ながらそういう風に現実は犠牲者がいるわけです。
(。ŏ﹏ŏ)
自分はいい人が損をする世の中はやっぱりおかしいって思いますが。
優しい人が餌食になる世界はやっぱりおかしいと思います。
🧐
ですので、そういう犠牲者が一番やらないといけないのは、
「自己愛」
なのです。
つ☕
^^
自分で自分を大事にしてあげる、という事を一番頑張らないといけないのです。
コップに水が溢れるほどある人が人に余分を与えられるのです。
ない人が”誠意”だとか”気持ち”だとか言っても物質にはならないのです。
言葉を選ばずに言うのなら
「むしろ親切にする事でエネルギーをもらおうという動き」
が動機にある場合もあるのではないでしょうか?
自己犠牲をしてもいいことはない、という事ですか。
「欲しい物を与えられるのが愛でもある」
と自分は思いますが、自分も自己犠牲をしてしまうタイプなので、兼ね合いが難しいです。
🎁
で
一方的に人を恨んでいますと”恨みの人生で生きていく人”になってしまうのです。
世の中の色々な場所に「嫌われ者」や「迷惑者」がいますが、彼らも本当はそうはなりたくはなかったはずなのです。
ですがそうなってしまったのです。
恨みが積もってしまって・・・・・・・・・
ひねくれてしまったのですね。
”彼らの存在する意味”とは、
「自分はそこまで落ちないように気をつけよう」
と決心させてくれ、自分を律する為にいる存在なのです。
ですが
人はそれでもゆっくりと進化していっているのです。
一ミリでも、進んでいるのです。
まぁ後退する事もあるかもしれませんけど・・・・・
生きていると真理に目覚めるきっかけなんて実はその辺に転がっていたりします。
事故だったり、病気だったり、破産だったり。
そういう最悪な場所から学ぶという事も多いのではないでしょうか?
普通に生きていればあんまり変化がないように見えますけど、小さい思いの積み重ねは最終的には大きな差になって現れると思います。
バシャール的に言いますと
「すべては完璧なタイミング」
という事なのかもしれません。
自分が言いたかったのは、
「恨んで生きたらつまらないよ」
という事です。
恨みというのは自分で毒を飲んでいるようなものだとAIも言っています。相手を王座に座らせているものであるとも言っています。
自分は自分が守ってあげたり救ってあげないと本当に心が死んでしまいます。
自分で助けを求めないといけないのです。
それに”恨みにエネルギー”というのは、とても波動として低いので、自分をずっと低い波動のまま留まらせてしまうという事でもあります。
上には上がいますので、自分で自分を低くしていたら損するだけですよね。
ですけど自分で低い波動の中にいる事を選択していながら、頑張って上に上がった人を貶して下げる事ばかり、それしか出来ない人生ってやっぱり面白くない、と自分は思います。
褒められようが貶されようが自分は自分のワクワクに従って生きていくだけですし。
自分はダサかろうが(・∀・)イイ!!と思うのですが・・・・・・
「ダサくても、これが自分だよ。」🤬
くらいに思っていればいいのです。
人とちょっと違う格好をしたからといって嫌われる事はあまりないと思います。
もしも万が一個性を否定されるあるのであれば、否定してるその人も自分がない人なのです。
「もっと個性出してこ」
というのが自分の主張です(•ө•)♡
「引き寄せの法則も願えば100%叶うという事ではない」
です。
もし叶っていたら、みんな、苦労はしていないのです。
つまり全員が叶うというわけではないのです。
どこかで「諦め」という悟りみたいなものも必要なのです。
「叶わないけど欲しいもの」
・・・・・
それは、もう既に「執着」になっているのです。
「欲しかったけど、無理だ」
「どうあがいても変えられない現実」
は存在します。
「引き寄せの法則は何でも叶う魔法ではない」からなのです。
あがいても手に入らないものは誰にでもあります。
ですので、
「次のステップに進むための川を遮る大きな石」
という解釈をしてみるのはどうでしょうか?
石があっても川の流れが止まっているわけではありませんので、大きな石を横切りながら、流れのままに宇宙に任せてみてもいいのではないかと思います。
「失敗だった。」
と、捉えるより、
「学びになった。」
と捉える方が、次のステップには入りやすいのかと思います。
今日も皆様に幸せがありますように。
皆様に幸あれ🌹
🌹
^^