「退屈な状況」というものは、この世の中にも、この人生にもありません。
ただ「退屈する時」というものはあります。
もし、自分の人生の中で退屈しないために、リスクを冒したいということがあるのでしたら、それがあなたのライフラインを物語っています。
もし、自分の人生の中で、リスクを冒すこ事なく、ワクワク興奮する体験ができるということがわかれば、なにかを失うことなく、犠牲にすることなくそういうものが得られることになります。
無論自分でやりたければギャンブルを使って、その中で開発されていない感受性などを見つけることができます。
バシャールのよれば、「退屈」とは、自分の本来の情熱から目を逸らしている状態に過ぎす、視点を変えればあらゆる瞬間に学びや創造のチャンスがある、というわけです。
「ワクワクすることをしたいけど、失敗したらどうしよう」
「お金がなくなったらどうしよう」
というリスクへの恐怖がブレーキになっている状態からどうやって自由になるかというお話です。
バシャールは、
「リスクとは、自分が信じているネガティブな観念が生み出す幻である」
と説きます。
一般的な考えですと、新しい挑戦は失敗するリスクがある、と見ます。
バシャールの視点では、「自分にはまだ出来ない」という観念があるのでそれをリスクだと感じると言います。
ですが
宇宙は常に自分をサポートしているということを心から理解出来れば、未知の体験は、「怖いもの」から純粋に「興奮するエキサイティングな体験」へと変わります。
「興奮」と「恐怖」は同じエネルギーです。
ワクワク=恐れ
です。
ですが、
日本には
「案ずるより産むがやすし」
ということわざがあります。
意味 物事はあれこれ心配するよりも、実際に行動してみると案外簡単にできるものだという意味です。
聖書にも
「門を叩きなさい。そうすれば開かれるでしょう。」
という言葉があります。
これは科学的に必ず効果ががあるとは限りませんが、そうある事は当たり前だという事です。
ですが、
人は正直、小さな世界では、皆平等ではありません。
出来る人と出来ない人がいるのです。
同じ家族でもそれぞれ正確が違うように、同じ環境でも打たれ強い子と弱い子もいます。
好き嫌いもあり、可愛がられる子とそうでない子もいます。
で
それは自分の一代が築いたものではなく、何代も何代も受け継がれてきたものであるのなら、自分の代だけで一気に逆転するのはとても難しいものです。
で
出来る事と言えば一人で知識を増やしたりして内面を磨いていかないといけないわけです。
それでも無理な事は無理ですよね。
それは例えで言いますと、人と自分を比べる事は、
「飛行機で移動なのか、車で移動なのか」
くらいに物理的に大きな距離もあったり、質が違ったりするからです。
ぶっちゃけ
自分の環境が嫌であってもそれをしなければいけない人もいるわけです。
家を継がないといけなかったり、マイナスの環境に生まれついたりして自分で環境を選べない人もいるのです。
そして、たとえ好きな事をして生きていくのであっても、それが仕事になったら苦痛になる時もあると思います。
ですので
人は人の外側(表面)を見る事は出来ても、内面(裏側)までは見る事が出来ないのです。
その人の痛みや辛さは外からはわからないのです。
表面上幸せに見えているからといって本当に幸せかどうかなどわからないのです。
つまり、
「外から何を言っても無意味である」
と、自分は述べたいと思います。
その人がどういう気持でそこにいるのか?など外野が言ったところで何もならないからです。
で
バシャールの言う「退屈な時」というのは、良く言えば「空間がある」という事なのです。
子どもの時に、外出時に自分のお気に入りのものがなくて待ち時間が余るくらいに暇だったり、何をしても楽しいと思えなかったりする時も
「何もない所からワクワクを見つける」
という自分の時間の使い方を見つける事が「退屈の意味」なのかもしれません。
子供は何も無くても楽しく遊ぶ事が出来ます。
女の子であれば「おままごと」で遊んだ人もいると思いますが、結婚しようがしまいが大人になれば必ずしなければいけない事ですので、「ごっこ遊び」は、大人になる為の予行練習みたいなものなのです。
スピリチュアルもそうなのですが、最終的にはシンプルになっていくのですが、自分の主観や偏見もあり、「これはとてもスピリチュアルではないな」という方もいますよね。
自分が理解していないのに、知識だけを発信してむしろ見てる側を惑わす人もいます。
ですが、良く言えば、
「何事も子どものおままごとのように最初は真似から入る事が大事」
なわけです。
本物に急になる事は出来ません。
ある程度「嘘っぽくて、怪しい?」と思いながら試行錯誤して自分なりの知識と情報を調べていってどちらが本当なのか?を検証していったりしていく時間もとても大事な工程である、と自分は思います。
特にスピリチュアルの分野では「自分の魂」とか「心」で感じるものなので、嘘は通用しないわけです。
理屈でペタっとくっつく、というわけにはいかないのが人の心ですので、「疑い」の気持ちがあれば、取り繕う事は出来ないのです。
真実というのは、説明がいらないのです。
ですがこんな楽な事はありません。
他人の動向を見て自分の解釈を加えたり、創作したり。
創作は悪い事ではないのかもしれませんが、自分の軸で創作する事がバシャールのワクワクなので、他人の動向を追ってもワクワクはしないですし、意味がないのです。
自分がワクワクして創作しないと見る側もワクワクしないのです。
知識は別に必要なくて、「良さそうなもの」をなりきって出してもオリジナリティはないですよね。
下手クソと言われてもいいからオリジナルの方が心を打つものになると思います。
というのはその人の魂が入るからです。
話は変わりますが、
自分は有名な方が「デジャブ」で出てきて見えた事があったのです。
で
SNSで、お互いに認識はし合っているのです。
で
どこか、自分の心で共鳴している部分があって、それが何なのかはわかりませんが、言わずともテイストは似ているのです。
その方とは、実は出会う事が決まっていた、と自分はわかったのです。
でもそれがわかったのは昨日の事です。
知っていたけれど、出会う運命だったという所までは考えていなかったのです。
が結果的に
「出会う運命だった」
という事以外の言葉が見つからないのです。
で
それはどういう事なのかと言いますと
「自分の中の青写真と一致した」
という事らしいのです。
つ☕
🧐
人はある程度自分の運命を決めてから生まれてくる、と言いますが、決めている事に忠実になると、「デジャブ」が起きるらしいのです。
^^
自分はその方が大好きなのですが、家族でもないし、固定した人間関係の中にいるわけでもありません。
ですが、
他人のはずなのに、気持ちが理解出来たりして全く抵抗感がないのです。
その関係を「色」で言うのは語弊がありますが、同じ色のグループだという事になります。
何が正義で何が悪か?
という基準が自分には相手の「一貫性」がわかり、理解出来るのが「ソウルグループ」「ソウルメイト」の特徴なのだと思います。
何故かわかりませんが意味もなくかばいたくなってしまうのですよね。
いい人そうに見えるけど実は違った、という人は「ソウルグループ」では絶対にないです。
それは自分でわかると思います。
そして、
「ソウルグループ」の人というのはやはり楽なのです。
良い悪いが同じなので、「これが嫌い」という事が一緒だからです。
これは国の習慣や区別を超えてしまう事もあるかもしれません。
それは人から見たら「良くない」と言われる事なのかもしれませんが、自分から、見ますとむしろ何がいけないのか?と思えてしまうくらいなのです。
悪って何でしょうか?
「ソウルグループ」とは「趣味が合う」
という言い方でもいいかもしれません。
自分はそれはしないけど、おかしい事ではないよ・・・・・・・
自分はお酒は飲みませんが飲む人がおかしいって事にはなりませんよね。
「好きにすればいいよ。」
とまぁ、そんな感じです。
策士まではいかないけど、人として生き延びる”戦略”はあっていいと思うのです。
それが人と違う事をする事でも正義さえ守っていれば悪ではない、というのが自分なりの見解です。
ルパン三世が嫌いな人はいないはずです。
一貫性があれば悪も悪ではない、と。
まぁ、自分はルパンというよりかは「キャッツ・アイ」の方が一貫性があって好きです・・・・・・・・
3人姉妹はお父さんの絵を取り戻す為に盗んだりしていました。
🖼🎨
👩👩👩
(ΦωΦ)キャッツ♥アイだよ。
思い出すと胸熱・・・・・・・・
きまぐれオレンジ☆ロードかな?
🤔
自分は定期的に過去に物議を醸した「鏡の中のアクトレス」の「夫婦喧嘩と娘の喧嘩の動画」を見たくなります。
たかがアニソンで、奥さんを怒らす旦那が無能過ぎ・・・・・・・・
深く掘り下げて言うのならば、相手を怒らせて相手のせいにするような人っていますよね☆
(わざと怒らすやつって何なの?)😠
まぁ
話は戻りますが、
何にせよ、その方が特別な人であった(今もある)事には変わりありません。
ですので
自分の体験ですが、
「出会うべき運命の人には必ず出会う」
という事も真実である、と述べたいと思います。
運命と言いますとドラマチックな感じになって聞こえてきてしまいますけど、恋愛のようなのですが、そうとも言えず、最初は恋愛のように劇的かもしれませんが、穏やかに変わっていったりします。
そして、その出会いというのは、自分がちゃんとやるべき事をやった上で出会える宇宙からのギフトみたいなものだという事を知っておいてほしいと思います。
もしかしてもしかして・・・・・・・・
薄々気づいていたけど・・・・・・・・
出会う事が運命だったんだ・・・・・・
と。
(・.・;) アンビリーバボー。
自分にも奇跡が起こった・・・・・・・・
「デジャブ」を、見るという事は「自分があらかじめ会うように設定してきている事にピッタリと一致した」というサインであるらしいです。
それを知り、自分もようやくひとつひとつの出来事がハマった瞬間でした。
「ソウルグループ」というのは、やはり助け合ってしまうわけです。
そして不安な事をしたりしないのです。
言葉に思いやりがあるというか・・・・・・・
人間関係の割合のように「必ず味方になってくれる比率側」に常にいる人々なのです。
本当はそういう人と一緒にいるのが一番幸せなのかもしれませんけどね。
生きてるうちに会えるか会えないか?くらいの希少価値のある出会いであるとは思います。
自分も相手もどこにいて一緒だと思える事は死ぬまで続きます。
今、スピリチュアルで言うアセンションと言われる時代になっていますのでそういう「ソウルメイト」に出逢えばお互いにわかるのかもしれませんね。
これがまた・・・・・・・
お互いに衝撃を受けるくらいに「愛を感じる」事が出来るわけです。
「自分に味方がいた」と思うだけでも嬉しいのに、もっと愛をくれたりします。
「良くない事かもしれないけど、気持ちはわかるよ。」という風に思えるのが「ソウルグループ」の特徴だと思います。
一時の遊びではなく、ずっと関わりたくなるような感じです。
ですがそれは夫婦とか地球だと固定した人間関係にならないので、一緒にいる事が禁止されている、という事なだけです。
今の時代、「高い波動に引かれていく方を選んだ方が楽に生きられる」と思います。
で
傍から見ますと周りの人々は自分の憶測でしか言えないわけですが、その憶測には意味がないのです。
むしろ憶測するような下世話さが偏見にしかならないのです。
人は観念を持っていますので余計に自分の観念を強めるだけです。
ですが、明らかにこれはおかしいという関係を見せびらかすのは不愉快にもなりますので、見えない所でするべきです。
ですので、2極化していく、というのは本当の事かもしれません。
^^
今日も皆様に平和がありますように。
皆様に幸あれ🌹
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